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大阪高等裁判所 昭和38年(ラ)84号 決定

抗告人 小島忠一(仮名)

相手方 小島房子(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人の抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

原審判挙示の証拠によると、原審判において認定せられた事実はすべてこれを認めるに十分である。しかして本件記録にあらわれた一切の事情を斟酌して考えると、抗告人と相手方の夫婦関係は、双方が寛容と忍耐をもつてその維持に協力せざる限り、今直ちに円満な夫婦共同生活を営むことを期待することが困難な状態にあることを看取するに難くない。しかしながら相手方において抗告人の離婚の申出を拒否し、婚姻関係の継続を希望している以上、抗告人は妻たる相手方の同居の請求を正当な理由なくして拒否しえないことは民法第七五二条により当然である。そして原審判において認定された事実関係のもとにおいて、抗告人が相手方の同居の請求を拒む正当の理由のないことは、まさに原審判の認めるとおりであり、また抗告理由二、の(1)ないし(7)四、及び七、において抗告人の主張している事実は多くは抗告人の一方的主張事実であり、これを認めるに足る証拠がないばかりでなく、仮に、これらの事実があつたとしても、夫たる抗告人が妻たる相手方の同居を拒む正当な事由ということはできない。次に抗告人は抗告理由三、五、六、八、九、において、相手方は抗告人と婚姻継続の意思なく、勝手に実家に帰り、真実抗告人と同居する意思がないにもかかわらず、専ら離婚の際の分与金や慰藉料を多く取得するため本件請求をしているにすぎない旨主張しているが、これを認めるに足る証拠はない。尤も本件記録によると、原審判が調停の結果として判示しているとおり、調停の進行中に離婚について話合がなされたことがあり、慰藉料の額について合意が成立せず、結局調停は不成立に終り審判に移行した事実が認められるけれども、これのみをもつて抗告人の右主張を肯認しえないことはいうまでもない。

そうすると、抗告人に対し、相手方を抗告人住所に同居せしめることを命じた原審判は正当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小野田常太郎 裁判官 柴山利彦 裁判官 下出義明)

別紙

申立の理由

一、原裁判所は昭和三八年三月一四日相手方より抗告人に対し申立てた同居審判申立を認容しその理由として

「抗告人、相手方双方が同居して夫婦生活の実を挙げることは余程困難であると推察されるが、抗告人が相手方の同居の要求を拒否する正当の理由がないと解されるのでその申立を認容したとしている。

二、しかしながら原審の事実認定には重大な誤りがあり以下に述べる事実は全くその認定資料として考慮された形跡なく、これを斟酌される場合にはその結論は自ら異つてくるものと考える。

三、抗告人は相手方と大津雄作の仲介により昭和三七年三月二四日結婚式を挙げ、夫婦水いらずの同棲生活を始めたが、相手方は三〇才近くまで独身生活を送りその間中学を出てから余り勤めにも出ず、自宅にいたためか陰気にして気儘な性質であり、同棲当初よりヒステリックな言動に及ぶことがしばしばであつた。

原審判は判断1の(ロ)において

「当初双方は円満な夫婦生活を行つていた」と認定しているけれども、相手方は右の如き性格で結婚当初から家出をなすに至るまで抗告人に対し堪え難き待遇をなし来つたものであるこれを例示すれば

(1) 相手方は妻の責務である家事を殆どかえりみず、外出ばかりしていたのである。

即ち毎日の食事の仕度はせず、抗告人が自分で準備をしたり又外食せざるを得ない状態で、たまの休日に抗告人が食餌材料を購入して来て調理を頼んでもこれに応ぜず材料を放置して腐敗せしめる始末であり、

(2) 洗濯物は押入れに突込んで溜めておくので郷里より尋ねてきた抗告人の母がこれを見かねて洗濯する有様である。

(3) 又抗告人は常時残業をして九時頃に帰宅するが、相手方が在宅していないことがたびたびあり抗告人より一時間以上も後に帰宅し、その後で抗告人が食事を頼んでもこれを作つてくれない。

(4) 日中は何処へ行つているのか分らないが近隣の人の話ではいつも家を留守にして出てばかりいる由である。

(5) 抗告人は相手方に対し月給支給額(当時月額二万六千円)全額を渡し、その中から小使として抗告人は金二千円を受取るのみであるが抗告人が郷里の親に毎月金二千円の仕送りをするよう頼んだが相手方はこれを拒否し、抗告人が家計簿をつけるよう頼んでも実行せず毎月抗告人の渡す給料中、生活費を除いた残額は自己の遊興費に使用してかえりみない。

(6) そこで抗告人がたまりかね外出先や金の使途を尋ねると真夜中まで泣きとおして何の説明回答もせず、そのため抗告人は寝不足で翌日の勤務にも差支えを来たす状態である。

(7) その他何事によらず、抗告人から相手方の不審な行為につきおだやかに釈明を求めても一切説明せずその後三日も四日も話をせずに横を向いている始末である。

三、次に相手方が家出したときの事情は、

相手方が近所の人から縫物を頼まれて引受けいつまでたつてもこれを仕上げなかつたので再三督促をうけている旨抗告人に自身で告げるので抗告人がこれを完成するように云うと、抗告人に側についてみていてくれと頼むのでその申出通り昭和三七年六月十五日の真夜中迄寝ずについてやつていたところ、相手方は途中で仕事が完成できないと云つて泣き出し翌朝何の理由も云わずに「もうこんな家には帰らない」と云つて実家へ帰る仕度をするので、抗告人は理を説いてとどまるよう全力をつくして諫めたが承知せず家出を敢行したものである。

四、相手方は抗告人が性生活を営むにつき欠陥があると主張し、原審判も亦、相手方が医師からその旨暗示をうけたと認定しているが抗告人は性生活に関し何ら身体的故障はなく、完全であり、むしろ相手方の性的慾求が異常に強くいつも慾求不満を起こしているのではないかと考えられる。そして相手方が診察してもらつた吹田の医師に抗告人が確めたところ、同医師は「抗告人の身体を診ずして欠陥があるなどということは云える筈がないではありませんか。相手方は変つた人で診察をした私と話をせず、診察を受けたことのない他の医師とばかり話をしていました」といつていた。

五、昭和三七年九月上旬、相手方の兄より相手方にも婚姻継続の意思なく姙娠中絶をさせるからその費用を送るよう抗告人に要求して来たので抗告人は直ちに相手方の請求する金額を送付したところ相手方は中絶手術を為した。

六、その後抗告人不在の間に相手方はやくざ風の男を伴つて抗告人方に来り留守居をしていた抗告人の母に対し荷物引渡を要求したので、母は、抗告人の在宅する時に仲人を通じてすつきり話をつけてくるように云つたところ、右やくざ風の男(義兄と称していた由である)と一諸に表でわめき散らし母に対し威赫的言辞を弄して脅迫した。

七、原審判は相手方が自己の非を詫び、同居を求めたと認定しているが未だ曾て同人が自己の非を認めて詫びたためしはなく、それどころか仲介人より相手方に話をしに行つてもらつた際にも、仲人に対し全く喧嘩腰で罵詈雑言を浴びせている。而して相手方の実兄すら弁解のため相手方が時々精神錯乱状態に陥ると主張するのであつた。

八、離婚調停においては法外な金員要求(金五拾万円)を出し、原審判が下された後も抗告人及びその両親に向つて相手方の要求額を出せばいつでも離婚してやると広言し若し金を出さないのなら、いやがらせに抗告人の実家(彦根市)へ行つて抗告人の父母と同居してやると申越して来た。

九、その他相手方の非を挙ぐれば枚挙に遑ない位であるが、これを要するに、相手方には抗告人と同居する意思なく専ら離婚の際の分与金又は慰藉料をつりあげる手段のいやがらせとして本申立をしたに過ぎない。

一〇、抗告人は右の如き次第にて相手方と婚姻継続致し難く(このことは原審判もこれを認めている)目下離婚訴訟を提起すべく準備中であるが原審は前記の事情をその判断の資料にしていないので右事実御斟酌の上原審判の取消と相手方の申立棄却の決定を求めたくここに本即時抗告に及んだ次第である。

参考

原審判(大阪家裁 昭三八(家)一六二号 昭三八・三・一四審判 認容)

申立人 小島房子(仮名)

相手方 小島忠一(仮名)

主文

相手方は、申立人と相手方のもとにおいて同居せよ。

理由

(調停申立の要旨)

申立人は主文同旨の調停(当庁昭和三七年(家イ)第一、三八七号)を申立て、その原因として、次のとおり主張した。すなわち

一、申立人と相手方とは、昭和三七年三月二四日に結婚し、その後相手方の肩書住所において同棲していたものである。

二、申立人は、結婚以来、将来の希望をもつて日夜勤めて来つつあつたもののところ、相手方は、精神的にか、または病的にか、夫婦関係を営む場合に早漏で、申立人は満足を得ることができないのを常としたが、やがては完全な生活ができるものと、相手方本位に考えて暮らしているうち、同年六月に姙娠の徴候が認められたので、申立人は、相手方に告げたところ、本来なれば喜こんでよいはずのところ、相手方は、夫婦間の性生活の実情から考えて、この姙娠に不審があるような言分をして申立人の期待に反するところがあり、申立人は、すでに初期のつわりの症状も表われていたので、そのため、相手方のこのような態度に神経も昂奮し、心身の休養のため、相手方の制止はあつたが、六月一六日肩書実家に帰省した。

三、しかるに、ただちに相手方からその妹を介して申立人に直ぐ帰宅するよう連絡があつたので、申立人は、翌六月一七日夜、相手方のもとに戻つたところ、相手方の両親も来ていて、一同から強い叱責を受けたが、申立人は弁解がましい言動を避けて、もつぱら詫びを入れ、引続き同居するうち、同月二四日に、相手方から、実家において静養するよう申渡されたので、医師の診断を受けた上-もつとも、このとき医師は姙娠を確認しなかつた-実家に帰り、静養をしていた。

四、すると、同年七月一日に、仲人が、相手方を代理して申立人のもとにやつて来て、相手方からの離婚の申入れを伝えるとともに、申立人の荷物の引取方を要求したので、申立人は驚ろいて、翌二日、申立人の兄二人とともに、彦根市の相手方の両親のもとを訪い、離婚申入の理由の説明を求めるとともに、申立人にもあつたはずの過失について、重々詫びをして善処方を申出でておいて実家に戻つた。

五、しかるに、同月五日、仲人がふたたび申立人のもとを訪れて、協議のため出席するよう求めたので、申立人は兄と姉の付添で、相手方及び相手方両親と会うて話合い、申立人は、申立人が姙娠していることでもあるし、是非とも将来円満な夫婦生活を営みたいと希望し、極力同居を求めたが、相手方側は、もつぱら申立人の非を鳴らして、あくまで協議離婚届に捺印を強要して止まないので、協議は成立せず、申立人らは引揚げた。

六、その後、申立人は、仲人を介して、申立人の意思が不変であることを相手方へ伝えたが、相手方がこれを拒否して同居を肯んじないので、本申立に及ぶ。

と、言うに在る。

(調停の結果)

当庁は、昭和三七年一〇月二三日以来、六回にわたり上記調停事件の期日を続行し、下記相手方からの離婚調停の経過にかんがみ、離婚止むを得ないとの前提で調停を試みたが、慰藉料の金額の点で合意ができず、結局昭和三八年一月一二日の期日に、

この調停事件は不成立となり、本件審判手続に移行した。

(判断)

一、申立人、相手方及び小島節子審問の結果に、上記調停事件及び当庁昭和三七年(家イ)第一、三八七号離婚調停事件の各記録を参照すると、おおむね次の事実を認めることができる。

(イ) 申立人と相手方とは、昭和三七年三月二四日に、大津雄作の仲介により結婚式を挙げ、相手方が大阪市内に在る山佐高速株式会社に勤務しているので、相手方の肩書住所に居を構えて同棲し同年四月一六日に夫たる相手方の氏を称する婚姻届をした。

(ロ) 当初、双方は円満な夫婦生活を行つていたが、同年六月一六日早朝申立人は、起床するなり朝食の仕度もしないで、いきなり「もうこんな家へは帰らない」と放言して、相手方の止めるのも聞かずに実家へ帰つて行つた。

(ハ) 丁度、当日相手方の両親たる右門と節子夫婦が相手方宅を訪問したが、事の次第を聞いて驚ろき、彦根の実家の申立人の妹に電話し、申立人の実家に連絡して、ひとまず帰つて来るよう告げたところ、申立人は翌一七日の晩遅く帰つて来たが、そのとき滞在していた右門夫婦に対しても、相手方に対しても事のし細を告げないので、相手方らも、申立人の真意を了解することができなかつたが、相手方らも強いて確めようとせず、うやむやのうちに数日が経ち、右門夫婦は引揚げた。

(ニ) 同月二六日になつて、申立人の兄と姉が相手方宅にやつて来、申立人に代つて、さきに申立人が勝手に実家に帰つたことの不都合を詫びるとともに、申立人から、申立人が姙娠していることを告げたので、相手方は、その翌日、申立人にいずれ、出産は相手方の実家ですることとなるであろうこととて、彦根のしかるべき医者の診断を受けた上、暫く申立人の実家で静養するよう申渡したところ、申立人は、当日吹田市の某医院において診断を受け、そのとき、相手方との性生活のことに関して、その医師に相談して、医師から、相手方に欠陥があるのではないかとの暗示を受けた。

(ホ) 申立人は、当夜九時頃に右門宅に帰つたが、申立人も、相手方の申付どおり、実家に帰つて静養するつもりでいたので、強いて当夜婚家で泊ることの希望を表わさず、右門夫婦においても、相手方からの連絡で、申立人が彦根で医師の診断を受けるべく当日早く帰つて来るものと期待していたのにかかわらず、遅く帰つて来て、しかも申立人が吹田市で診断を受けたこと、その際、医師から相手方に性生活上の欠陥があるかも知れないと告げられた旨洩らしたので、すつかり、気嫌を損じて、申立人をその実方に一応預けることとして、節子が申立人を送つて行つた。

(ヘ) そうして、右門夫婦は、前後の事情から考え合わして、殊に、申立人が相手方に性生活上の不満があるとなつては、申立人に相手方との婚姻継続の意思はないものと判断して、相手方とも相談の上、同年七月一日、仲人大津を介して、申立人に離婚の申入を行つたところ、申立人としては、相手方の指図にしたがい、実家に戻つたもので、当初の不都合の点については、兄姉を通じて相手方に詫びを入れており、離婚する意思は全然なかつたこととて、翌二日兄二人とともに、右門宅を訪れて、重ねて不都合の点を詫びるとともに、離婚の意思のないことを釈明し、相手方詫に復帰して同居することを求めた。

(ト) しかし、相手方側は、申立人側の和諧の要求に応じないで、同月八日京都市の大津方に、申立人側を招き、あくまで離婚を要求し、協議離婚届書に申立人の捺印を求めたが、申立人は、早速これに応せず、諾否を留保して、当日は散会したが、後日更めて離婚の意思のないことを相手方に通告したところ、相手方は、同月一八日に、当庁に離婚調停(昭和三七年(家イ)第一、三八七号)の申立をした。

(チ) 当庁は、この調停事件について同月二六日以来三回調停期日を開いて、相手方に対し申立人との和合を勧め、同居するよう図つたが、相手方は頑として応せず、申立人には離婚の意思が全然ないので、同年八月二四日の第三回期日において、不成立として事件を終結した上、同年七月二六日に申立人から申立のあつた上記調停事件において、引続き調停を試みて来たものであるが、和合の望みもなく、また調停による離婚の合意も行われ難い段階に在り、申立人は、依然肩書住所の実家に身を寄せて、相手方と別居しているものである。

ことを認めることができる。

二、以上認定のごとき事情のもとに、双方が同居して夫婦生活の実を挙げることは、余程困難であると推察されるが、相手方が、申立人の同居の要求を拒否する正当の理由はないと解されるので、本申立を認容して、主文のとおり審判する。

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